北日本一の大都会だった函館
函館市の人口は約26万人、北海道では札幌、旭川に次ぐ第3の都市ですが、かつては札幌や仙台をしのぐ北日本一の大都会。大正9(1920)年の第1回国勢調査では人口14万5843人、全国でも9番目の大都市でした。
そのころ函館の一等地だった十字街や一筋横の銀座通りには、日本ではまだ珍しかったコンクリートやモルタル塗りのビルが立ち並びました。
とりわけ銀座通りは、モダンガールの行き交うカフェ街として賑わい、夜遅くまで人通りが絶えなかったといいます。
函館市の人口は約26万人、北海道では札幌、旭川に次ぐ第3の都市ですが、かつては札幌や仙台をしのぐ北日本一の大都会。大正9(1920)年の第1回国勢調査では人口14万5843人、全国でも9番目の大都市でした。
そのころ函館の一等地だった十字街や一筋横の銀座通りには、日本ではまだ珍しかったコンクリートやモルタル塗りのビルが立ち並びました。
とりわけ銀座通りは、モダンガールの行き交うカフェ街として賑わい、夜遅くまで人通りが絶えなかったといいます。
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